うわあぁぁぁ!ウィリアム・ケントリッジの『魔笛』が今年の4月にやってたの?何をボーッとしていたんだ私は!!
オペラってちゃんと観たことないんだけど、彼の演出は観たかった。
ウィリアム・ケントリッジのことは数年前に知って、まだこの目で作品を見たことがない。『時間の抵抗』という展示をやっていた2014年に彼を知らなかったことを後悔している。
ちなみに私が持っている『時間の抵抗』作品集はこちら。売り切れてしまっているが、この本屋さんが好きなのであえてこのリンクで。
チラッと中身が載っているけども、この本自体もめためたにカッコイイんだわ。ずっと眺めていられる。
どうでも良いけど、「めためた」って通じるのかな。私の周りであんまり使っている人いないんだけど。
私は本が好きで小説やエッセイを読むのが特に好きだ。そして同じくらい写真集や作品集も好きで買いたがるので、安い本棚が重みで歪んでいる。作業部屋に居る時に巨大地震がきたら、たぶんアウトである。幸いうちの近所は地盤が固いから揺れにくいらしいが。
その手の本はそもそも出版部数が少ないものも多く、今買っておかないと後悔するかもしれないと思ってついつい買ってしまう。実際に買って後悔したものはないが、買わなくて後悔したものはもちろんある。
出版当時は知らなくて、買おうとした時に馬鹿みたいに高値になっていたりするとただただ歯軋りするしかない。だから良いと思ったら即買うのだ。
ウィリアム・ケントリッジの作品集は、ひと目惚れだった。
私はなんだかんだ、ひと目惚れが多い。何か作品を見て感覚的にブワッと訴えてくるものがあったら迷わず作品集を買い、その後もことあるごとに眺める。視覚芸術作品に関してはそういう経験が多く、「雷に打たれたような」という比喩がよく理解できる。
しかし、うちの人に訊いてみたところ、あまりその経験はないらしい。みんな少なくとも年に1、2回は雷に打たれているものだと勝手に思い込んでいたよ。
でも打たれすぎるとエネルギー消耗するから、私の場合はもうちょっと少なくても良いのかもしれない。
なんだろう、こういう「好きなものに出会った」とか「自分に何か訴えかけてくるものを見つけてしまった」という時の心身の変化ってすごいなと思う。本当に心臓がバクバクするし、体が熱くなる。
逆に時間と体が凍りついて全てがシャットアウトされる、みたいなこともある。目の前の作品に吸い込まれて身動きができなくなってしまう、みたいな。どちらにせよ、とてつもなくエネルギーを使う。
だけど雷に打たれた後、しばらくすると力が湧いてきて視界は春が訪れたようにパッと明るくなる。吸い取られたと思っていたエネルギーが、何倍にもなって返ってくる感じ。そうやって循環して、グルグル螺旋みたいに回っていく感じが視覚芸術作品にはある。
あの、別に、スピリチュアルなことを言いたいんじゃないのだ。でも、自分にとって大きな衝撃を放ってくる芸術というのは存在して、それは目に見える情報を超えて直に心身に影響を与えてくるよね、って話。
結局、芸術と真剣に対峙するってトレーニングとか登山とか、身体を鍛える時の感じにちょっと似ているのかも。この辺は視覚芸術に限った話ではなく、もっと広義の芸術に対しても言えるんだけど。
うん、美術館に行く時は体調が万全じゃないとツライね。
そうそう、最近知った「神経美学」を勉強したらその辺のことが分かるのかもな、なんて思ったり。
兎にも角にも、10個くらい行きたい展示があるので、どうするかが今月来月の課題。しかも地方がふたつある。時間もお金も何もかも、倍は欲しいな。3倍でも良いくらい。
おまけ。
珈琲にLoackerのウエハースをつけてくれるお店は信頼できる。通う。