それなり日記

映像作家、三宅美奈子の日記のようなものです。

無駄は心の養分なり

 

けったいな柄のコンバースを買った。カップヌードル柄である。

 

store.nissin.com

 

写真を見た瞬間「ダサいな」と「可愛いな」がせめぎ合った。人によっては「圧倒的にダサい」になると思われるが、私の場合は「ダサ可愛い」に落ち着いた。

 

でも通常のコンバースよりは高いしなぁと悩みながら、うちの人に写真を見せた。

「買いなよ」「普通のコンバースより高い」「うちのお金使えばいいじゃん」「マジで、じゃあ買う」

まさかの、我が家のお金を使っていいと言われた。いや、使いどころ間違ってない?と思いつつも黙ってポチった。

 

このコンバースはちゃんと履き倒すだろう。色味としては使いやすいし。ただで広告させられていることに疑問を持たないではないが、そんなことを言っていたらショッパーなぞ持てなくなる。

 

 

私は昔からこういうネタっぽいものというか、およそ生きるのに必要度ワーストスリーに入る、みたいなものに手を出してしまう癖がある。

「それ要ります?」と冷静なもうひとりの自分が問いかけてくるのだが「だって欲しいんだもん」でだいたい押し切っている。

 

 

少し前だが、友人と某所に出かけた時にこの本を買った。(友人とは、いつもの友人である)

 

f:id:minako_movie:20230130204134j:image

 

中国のポスター集だ。もうすぐ寅年が終わるということで、セールになっていた。

珍しいし安くなっているなら買いだろう、と思った。あまり見かけないし、私は紙が大好きなのでポスターとして使うよりは封筒に改造したいと考えた。

 

だがしかし、だ。本当に要るの?封筒にしたところで誰に使うの?(使える相手はひとりしか思いつかない)そこそこサイズも大きそうだし、12枚もあるんだよ?使いきれるの?

 

 

結局は正しさを振りかざすもうひとりの自分を無視した。

家に帰って開封したところ、ポスターとしては思っていたよりも倍ほどのサイズ感で笑った。そして思ったよりも好きな紙とインクの香りがした。

 

立派なポスターなので、ある意味もったいないのかもしれないが、私は躊躇することなく紙を裁断し始めた。

しかし一向に減りそうにない。何故なら巨大な紙が12枚だからである。早々に諦めて、気が向いた時にちょこちょこと進めることにした。

大きな裁断機を買う必要性を感じる…が、これはたぶん本当に感じてはいけないやつなので闇に葬った。

 

 

無駄なものを生活に取り入れるのは楽しい。だいたい、無駄の何が悪いというのか。

明日には「今まで役に立っていたものが無駄になる」ことだってあるだろうし、その逆だってあり得るだろう。さらに言えば「無駄なものが無駄なまま存在する世界」こそが、豊かな世界なのである。

 

私自身も、別にこれといって世の中の役には立っていないと思う。

例えば仕事している量も周りと比べたら少ないと思うし、誰かのためにボランティアをしたり多額の寄付をしている訳でもない。どちらかと言うと自分のことで精一杯の人間である。

 

だが「お前は無駄な存在だから消えてくれ」と言われたことはないし、そんなことを言うやつは非難されるのが当たり前だ。

生産性とかコスパとかタイパとか、そういうのが好きな人はそれらを気にして生きていけばいい。個人の自由である。だが、それを他人に押し付けて人の価値をはかったり、無駄なものが存在することを全否定する人間はろくでもないと思っている。

 

 

人間性にまで話を大きくしてしまったが、あまりにも物が増えすぎていることへの壮大な言い訳だ。やっぱりどうしようもない人間だな。

 

 

ちなみに私が中国のポスターを手に取った時、友人は箒を買っていた。職人が手作りしてそうな、小さめのデスク掃除が出来るタイプの箒。

ちゃんとした箒というのは意外と高く、セールの値段なら…という感じで買っていた。私と同じように「え、これ要る?ほんとに要る?」とかなんとか言いながら。

要らなくてもさ、買っていいと思うんだ。それが心の余裕ってものだよ。

 

 

 

 

 

友人の話で締めて、自分の無駄遣いを煙に巻こうとしてすみません。

コンバースは写真で見るより履いた方が可愛かった。もちろん後悔はしていない。

 

 

 

 

 

おまけ。

監督作の15秒連続ドラマ『Ramble on (and on)』金沢上映が決定しました。

3月25日(土)は金沢HARMONIEに集合しましょう!