それなり日記

映像作家、三宅美奈子の日記のようなものです。

三人寄れば四人目が来る

 

前から気になっていた文学フリマというものに行ってみた。

いわゆるコミケの小説版、ZINEなどを作家さんが手売りする大きなイベントである。最近盛り上がりを見せているなぁと思っていたのだが、コロナ禍というのも手伝ってなかなか行けずにいた。

 

すると文フリの数日前、いつもの友人から「Pと行くことになったけど、欲しいものあったら買ってくるよ!」とLINEが。私は行ってみようかなと迷っていること、欲しいものはたくさんありすぎること、などを伝えた。

「Pが美奈子も来たら、って言ってるから集合」

ということで、お金を使いまくりそうだなぁとか迷っているうちに参戦が決まった。ひとりで行くのは心細かったのでありがたい。

 

ちなみにいつもの友人も、Pさんも下記の記事に出てくる。久方ぶりの集合である。

minakomovie.hatenablog.com

 

当日は少し早めに集合して場内のまわり方を検討することにした。なにせ全員始めてだし、お目当てのものは確実に購入したい。

調べてみると、会場近くにある喫茶店タリーズの一択だった。まぁいけるだろ、とタカを括って開場時間の一時間ほど前に行くことにした。

 

文フリ当日、まず浜松町まで行くのに新宿から山手線に乗ったのだが「遠いな、おい」と思った。そもそも私は新宿までちょっとかかるところに住んでいる。

目黒くらいまでは遠さを感じないのだが、浜松町までは長すぎて車内でうつらうつらしてしまった。(イベントごとの前はたいてい寝不足)

 

そしてさらに、浜松町からモノレールに乗るのだ。

ようやく辿り着けるのか、と思って乗車したのだが人が多すぎる。これはまさか全員文フリなのか?と思っていたら大井競馬場前にてそこそこの人数が下車した。

そうか、これからみんなもつ煮食べるのか、と思った。そんな訳はないのだが、競馬場というと串焼きもつ煮どて煮ビール片手におじさんが競馬新聞振り回している絵面が反射的に出てくる。

 

まぁ、もつ煮は置いといて。

流通センター駅に着いて降りたところ、すごい人だった。時間的に出店者側が多いのか、スーツケースをガラガラしながら一斉に改札に向かう人々。

これはタリーズ、無理じゃない?と思いはじめる。でも着いてしまったものは仕方ないので、真っ先にお店に向かった。

 

案の定、席が取れない。ひとり席が空いていたのでひとまずそこに荷物を置き、どうしようかと思案していたところ、奥のふたり席が空いたのでスッと移動。Pさんが何時に来るか分からなかったが、とりあえず友人とふたり分は確保。

 

コーヒーを飲みながらサンドイッチを食べ終わると、友人が到着。

隣の席のお兄さんがひとりのようだったので、Pさんが来たら一脚椅子を借りて良いか訊いてみると快諾してくださり、席の心配はいらなくなった。そして、我々は印刷してきたマップにチェックを入れていく。

 

すると、いつもの友人から甘い香りがした。私は香水オタクのため、友人をニッチフレグランスのショップに誘導したりするわけだが、彼女はまんまと何本か買っている。

人生で初めて買った香水がいきなりニッチだった彼女は、この日も甘い香りがお似合いだった。

 

私が香水について語っている記事はこちらです。

minakomovie.hatenablog.com

 

そのうちPさんも到着。相変わらず眩しい…。

なんやかんやと話をしていたが、気がつくといつもの友人とPさんがお互いの二の腕を触り合っている。タリーズでいったい何をしているんだ。まるで女子高生同士のいちゃつきである。

女の子ってお互いの体を触り合うことが多いような気がするな。なんでだろ、柔らかいから?普通に好意の表現?あ、私の周りだけか?てか、ふたりとも二の腕ほっそ!と、笑いながらジロジロ眺める変態おばちゃんになってしまった。

 

もみもみタイムも終わり、今日Pさんがとある男性と会おうとしている話になった。それならここで合流すればいい、という流れに。

ああ、前もそうでしたよね、人が増えて移動するんですよね。(前出の記事参照)しかし4人も座れるところが空くかな...うん、空いた。すぐに空いたよ。

 

ということで我々は席を移動し、その男性も合流。その方を仮にZさんとしておく。

Zさんはいかにも文学青年っぽいナイーブな雰囲気を内包しつつも、会話の合いの手がとても上手で社交的な人だった。

喩え方、ワードチョイスの的確さ。いつもの友人のテンションが高いトークに、初対面ながらこの返しができる人...頭もノリも良いな...と勝手に感動していた。

 

私は自他共に認めるテンション低めの陰キャ且つ全てのテンポが遅いので、3人以上で初対面の人がいたりすると、そんなにしゃべらない。この時もそうだったが、別につまらない訳ではないのだ。

正直、人の話って聞いているだけで楽しいことが多い。(まぁ無条件で楽しいのは私が好きな、面白い人たちに限るんだが)お酒が入るとしゃべる質だが、それは頭の回転率が少し上がっただけで「楽しい楽しくない」という気持ちの部分にはあまり関係がない。

あとは会話を聞きながら人を観察するのが癖になっている。観察はあまりよろしくないなと思うが、職業病みたいなものである。

 

ここにいる3人とも社交的で常識的なんだけど、絶対ひと癖ふた癖あるよな、やはり文フリに来るということはそういうことなんだな、こんな人たちばかり集まるってどういうことだ。などと思って話を聞いていた。(Zさんに関しては初対面で癖とか書いてすみません)

 

こう書くと「お前も癖しかないだろ」といつもの友人に言われそうである。でも初対面で面白い人認定され、覚えられてしまうのは確実に友人の方だ。見た目が麗しいのにしゃべったらテンションが天井突き抜けてて、言ってることもなかなか変わっているからだ。

 

人間はギャップがすごいと記憶に残るものである。

私なんてどこにでもいそうな感じの顔立ち、たいしてしゃべらない、変なこともそんなに言わず、なんなら声が低めで小さい。初対面で面白がられる要素がない。

 

そうだ、私はどこにでもいそうな無害な雰囲気からなのか、頻繁に知らない人に道端で声をかけられる。わりとあらゆるタイプの人間に、だ。

それは道に迷ったおばちゃんや外国の旅行客に始まり、キャッチの若い男性、コロナ禍ではマスクに言及してくるおじさんおばさん、信号待ちやバス停で世間話をしてくるご高齢の方、お母さんだと間違えて手を繋いでくる子供など多種多様だ。

 

道を訊いてくる人なんて渋谷や銀座のような人混みでも、なぜか私にロックオンしてくる。目が合った途端に話しかけられる。

もちろん分かる場所ならきちんと伝えるし、急いでなければ分からなくても調べたりする。そういうのが嫌ではないが、なぜこんなに人が溢れているのに私?とは思う。

 

昨日だって、ある店でお爺さんに店員さんのような扱いを受けた。

「〇〇みたいなのはどこかな。ここだけ?」と言われ、私が「あ、こことここだと思いますけど…」と言いながら店員さんを探したら「みんな忙しそうで聞けないんだよ」と言われた。

そりゃそうだが、なんで私に訊いて分かると思ったんだ。二度手間だろう。

 

海外の人に複雑な説明するのが面倒で「Follow me」的なことを言い、目的地まで連れて行くこともたまにある。これを言うたびにジャンヌ・ダルクじゃないんだから、って思ってしまう。(実際にはもう少し丁寧に言っているが)

なので「足止めを食らっている時間は全くない」時は意識して早歩き、話しかけないでオーラを出すか、ヘッドホンを外さない。わざわざそうしないといけないくらい漂う無害感、とは...。

 

 

また話が逸れた。

まだタリーズの中の話じゃないか。文フリ会場にたどり着けていない。

たどり着けてけていないのだが、もう疲れてしまったので今日は前編とする。文フリ、まさかの前後編...。そんな引っ張る話でもないっての。

 

 

 

 

 

おまけ。

急に読みたくなったから本棚探したんだけど無くて、たぶん実家か誰かのところに行ってしまったか。仕方ないので買い直した。そういえば遠藤周作も見当たらないんだけど?おかしい。

こういうこと多いんだよな。人生で何度本を買い直せば気が済むんだろう。

結局のところ大江健三郎の出現によって筆を折った、もしくは小説家になることを諦めた人ってどれだけいるんだろうね。よく聞く話だけども。