それなり日記

映像作家、三宅美奈子の日記のようなものです。

書きっぱなし投げっぱなし

 

前回の続き。

minakomovie.hatenablog.com

 

茶店からカフェに移動。喫茶店とカフェの何が違うのかはうまいこと説明できないが察していただきたい。なんとなくあるでしょ、なんとなく。

 

次のカフェはメニューがわりと豊富で店内は薄暗く、時間を気にせずまったりできるところだった。そして何より、ポテトがある。これが大事である。

奥の方の席に座ったところ、ソファがめちゃくちゃ沈み込んだ。そこそこ行っているカフェだが、その席に座ったことがないので気がつかなかった。あまりにも沈むのでジタバタとしてしまう。

何度も座り直していたところ、何をやっているんだと笑われた。答えとしては尻の適切な位置を探していたのだが、結局は見つからなかった。不安定な尻。

隣にいるPさんは安定して座っているように見えた。ソファの問題ではなく私の尻の問題なのか。重力に逆らえなくなった扁平尻だからいけないのか?中年には優しくないソファだな。

 

私が尻に固執している間に、ふたりは粛々とメニューを決め始めていた。

さっきは珈琲を頼んだので、それぞれお茶だのオレだのを頼む。もちろんポテトも頼むし、サラダやら何やら小皿でアレコレつまむことになった。ふーん、女子会っぽいね。

いつもの友人に運ばれてきたカップの柄が素敵だった。彼女はそれを持ち上げてポーズを取り、Pさんが写真を撮っている。

楽しそうだなぁと眺めながら、いつもの友人はスタンダードな可愛い顔も出来るんだよな、と改めて感心する。伊達に顔筋を鍛えているわけじゃない。こういう顔をするための鍛錬なのだ。(勝手に言ってる)

 

そして我々は再び作業…とはならず、食事をしながら身も蓋もない話をした。(少なくとも私はこの尻の位置では作業する気にならなかった)

身も蓋もない話ってなんだ?っていうところだが、とどのつまり「アレがしたいコレがしたい」という欲望の赤裸々な告白である。

 

Pさんがアレをしたいから私に習いたいという。講座である。別に教えるもんじゃないのだが、過去の自分の気持ちやら考えやらを話す。話しているうちに自分で自分の過去を「それなりにネジが飛んでて面倒くさい」と思う。

もともと欲望のままに動く人間だし、特に昔は長生きすると思っていなかったため、なんでもアリだった。それゆえに、冷静に人に話すと苦笑いしか出ない。かと言って自分の過去を否定する気も毛頭ないが。

己の過去を否定したら、今の自分が消滅してしまう。否定ではなく、反省は5ミリくらいしてるけども。

 

Pさんには私のおかしな過去を参考にし、良い部分だけ吸収して新たな一面を獲得してもらいたい。などと、急に人生の先輩ぶった心持ちになりかけた。

うざい。誰だお前は。こうやって人は老害と言われるアレになるのだ。老害って言葉もなかなか酷いから、あまり使いたくないが。長く生きてればいいってもんでもないんだから、年長者ぶってはいけない。

違うんだよ、みんな好きなように生きたらいいんだ。私が言いたいのはこれだけ。

 

人のことなんでどうでも良いのだ。

みんなSNSのせいだかなんだか知らないが、周りを見過ぎだ。上を見ては羨ましがり、下を見ては「ああはなりたくない」と蔑む、みたいなことが散見される。

お前という人間は!どこに居るんだよ!フラフラすんな!

 

なんでキレているのかよく分からないが。とにかく、結局は他人の話である。親しい感情を抱いている数少ない人間以外は、先に書いた通り心底どうでもいい。

私は人のことなんて気にしている場合ではない。君たちはどう生きるか、と放り投げて終わりとする。

急なジブリで締め。たぶん駿はそんな意味合いで言ってない。

 

 

Pさんが店内に貼ってあったおかしなポスターを、写真に撮って見せてきた。「変だったから撮っちゃった〜」みたいな感じでウキウキした様子。私にはもはや小躍りしているように見えた。なんなんだ、いちいち可愛らしいから虐めたくなるな。

実際にはそんなにウキウキじゃなくて、単に面白いこと書いてあるよ!ってところなんだろうが、私のPさんを見る目にはデフォルトでキラキラ増しのフィルターが入っている。

とりあえず、カフェでいきなり虐めるのも人としてどうかと思うので「それ前に見たことあるなー」と極めて正常ぶった返しをしておいた。

 

虐めたいって言うと大層な感じだが、要は感情がヒュッと動く瞬間、みたいなものを採取したいのである。それを脳内にコレクションしておくと、辛い時や悲しい時に思い出して勝手に励まされるのだ。

笑ってる顔に癒される!とかそういうことではない。あくまでも感情が何かに刺激されて表出した一瞬、が好きなのだ。笑ってても怒ってても悲しんでいても良い。「あ、今動いた!」というのを出来るだけ、映像としてストックしておきたい。

だから楽しそうにしている時に虐めたくなったりする。感情の動く振り幅が大きくなるからだ。とかなんとか書いてるけど、感情を弄ぶのが好きな最低な奴ってことじゃないか。

 

でも極論ね、監督の仕事ってそれなんだ。

それが監督はおかしなやつが多いと言われる所以だと思うが、映像の中だけで変態性を出すべきだ。普段から見境なく他人の感情をコントロールしようとしてはいけない。それは人として終わってるやつのやることだ。

 

そんなこんなで、Pさんのことは観察をするにとどめた。

いつもの友人はPさんに顎を両手で持ち上げられたりしている。お互いを触ることに積極的なふたり。私は人に触るのも触られるのもそんなに得意ではないが、好きな相手を触るってのはいいもんですよね。

 

 

 

と、ここまで書いてずっと放置していた。我ながら変なところで切っているな。

ここからさらに我々は蕎麦を食べに行き、もう一軒喫茶店をハシゴするというツアーを開催した訳だが、もう詳細を忘れてしまった。前述とのバランスが取れないので、細やかに書けないと判断した後半部分は放棄する。

 

まさかの放棄宣言。でもさ、同じように書けないなら書きたくないんだよね。これが仕事だったら捻り出して書くんだけども、好きでやっているだけなので。

というか早めに書けばよかったって話ではあるんだが、どうにもこうにも不調なのだ。もう少ししたら復活すると思う、例年通りなら。スケジュール通りに不調になるのやめて欲しい。いや、不意打ちの方が面倒か。

 

 

人生の大半を謎の虚無感と共に生きてきたんだけど、季節や出来事によってその虚無感が大きくなったり小さくなったりするんだよな。鬱って感じでもないんだよ、虚無。というか穴。

昔はその穴が気持ち悪くて、埋めないといけないとか他のことをして気を紛らわせなきゃとか変に必死だったんだけど、今は諦めた。というか静観している。いや、静観というより傍観か。私の人生は本当に観察に費やされているな。

 

でも傍観しないと飲み込まれちゃうのでね。あとは仕事をある程度忙しくするのがいいと思うので、ちゃんと労働すべきだなと思ってる。来年からはいろいろと動く予定だし、自分の作品も粛々と進めますよ。

 

 

ひとまずあれに応募する企画書をだね...早く書かないと。あとロケハンもだ。

あっとういう間に年末になる気がするし、時間を無駄にしている場合じゃないな。

 

 

 

 

 

おまけ。

ceylonfamily.jp

 

これかなりお安く売ってるんだけど、ものすごい生姜で美味しかった。食感もサクサク軽くて食べやすいし。

私は虚無になってもお菓子は食べます。お菓子すら話題にしなくなったら心配してください。それは間違いなく危険です。よろしくお願いします。