みぞおちのあたりがムズムズしちゃって、青春って本当にこっ恥ずかしいなと実感した。
ウォン・カーウァイ作品をスクリーンで観たのだ。映画のストーリーが青春という意味ではない。私が青春時代に観た映画なので、その象徴ということである。
ウォン・カーウァイって初期の作品はもう「やってんね!」という感じなのだ。これカッコいいよね、スタイリッシュだよね!デデン!という。編集点や音楽の入りどころで監督が指をパチンとしているのが見える。(比喩です)
だから、いい中年の私はモゾモゾしてしまう。分かってたよ、こうなるのは分かってたんだ。いろんな意味で若い映画なんだよ。もちろん今見てもいいところはたくさんある。映像表現としては寂びていない。
現に中年だけではなく今時の若者もそこそこ居た。そして、満席続き。昨今の状況を考えると、とても喜ばしいことである。
ただ、実を言うと初見の時もそのカッコよさに居心地が悪い思いをしていた。映像の色味などは好きで憧れたけど「私に向けられた映画ではない」と思ってしまった。
そういう卑屈な精神で作品を見ていたことに関しては、自分でもどうかと思う。カラックスにどハマりしたくせに。何故カラックスは自分に向けられた映画だと思っていたのだろう...。若者の思い込みって怖いね。
で、ですよ。そんなことを思っていたのになんで観に行ってしまうかって、この頃のフェイ・ウォンが好きという一点に尽きるのだ。
10代の後半、私はショートヘアの女性がはちゃめちゃに好きだった。
代表格が『恋する惑星』のフェイ・ウォンであり、『ギルバート・グレイプ』のジュリエット・ルイス、『エイリアン4』のウィノナ・ライダー、そして『ポンヌフの恋人』のジュリエット・ビノシュである。
4人も推しがいるとか欲張りだし、追いかけるのが大変ね。
そして気がついたらジュリエットがふたりもいるな。ルイスの方は何をしているんだろう。あまり見かけない気がする。
と思って検索したら、SIAが監督した『ライフ・ウィズ・ミュージック』に出ているじゃないか。スルーしていたよ…。見てみようかな。
ちなみに今、新宿武蔵野館などで『ギルバート・グレイプ』が上映されている。来週までですかね。この作品のジョニデとディカプリオも最高。
なんでそんなにショートへアの女性が好きだったのかは今でも判然としない。
単純にビジュアル的な憧れとして、自分もベリーショートにしたいと思ったこともあった。だが私は「頭の形が良くないとあの髪型は無理だ。あと髪質が剛毛だし癖毛だし」とサクッとあきらめた。
そういえばその頃、国内ではショートはおろかボブヘアも流行っていなかった。
学生で運動部だから短くしているという子はたくさんいたが、大人の女性が自分のスタイルとしてショートにする、というのが今よりも少なかった気がする。なんなら安室ちゃんとかコギャルが流行ってたしね。
あのくらいのショートにしたら女としての煩わしさも減るのかな、とでも思っていたのかもしれない。
そんな見た目で減るわけがないのだが、意志の強さみたいなものが欲しかったんだろう。なんだか自由で解放された人たちに見えていたんだ、あの髪型ができるということだけでも。
それだけ抑圧され、鬱屈とした10代後半だったんだな。ある意味、教科書みたいな青春時代である。(やばい方の、だが。)
今でも私はあの頃買った、彼女たちが載っている雑誌や写真集を捨てられない。捨てられないというよりも捨てたくない。かさばるし邪魔くさいしそんなに頻繁に見るものでもないので、整理しろと言われるがしたくない。
これらは私の青春そのものだ。
...なんか急にユーミン出てきた。
結論。
私はウォン・カーウァイ作品が好きなのではなく、彼の映画に出てくる女性が好きなのである。
『花様年華』のマギー・チャン!チャイナドレス!トニー・レオンも素晴らしいけど。もう、ショートヘア関係なくなってるけど。
おまけ。
今、とても食べたいパフェ。名前が風流でいい。でも高い。
なぜなら千疋屋だから。