それなり日記

映像作家、三宅美奈子の日記のようなものです。

手間がスゴイ

 

 

今日は朝から下着を切り刻んだ。

別にとち狂ったわけではない。単に古くなり着れなくなった下着をハサミで刻み、色のついた袋に入れて廃棄しただけだ。

他の人が下着を捨てる時にどうしているかは知らない。みんな同じように切り刻んでいるのだろうか?

とにかく私はそのように教育を受けたので、ずっとそうしている。

 

もしかしたらこの行為、ピンとこない人も居るかもしれない。

なので念のため書いておくと、世の中にはゴミ袋から下着を盗むとち狂ったヤツが居るので、ひと手間かけるに越したことはないのだ。

だが傍から見ると、下着を切っている方もとち狂っているように見える不思議。画的に怖いよな。

 

…とち狂った、と書きたいだけだ。響きがいいもので、つい。

 

しかし、これは我に返ると間抜けな行為に思えてくる。さらに言うと下着は凝った作りのものが多く、なんだか作った人に申し訳ない。

その間抜けさ、申し訳なさ、単なる面倒くささが相まって、たまに下着の捨て時が分からなくなる。

 

ちなみに『下着の捨てどき』という本が存在する。平松洋子さんの本なのだが、我が家の積読本になってる。読んだら感想を書きたい。

 

 

 

下着を刻む時の罪悪感は「自分に一番近いところを包んでくれているから」という気持ちもある。一番プライベートな、守らねばならない部分を覆ってくれていたのに、最後にハサミを入れるとは。

恩を仇で返している気がしてしまう。

 

それに下着は面積が少ないのに、そこそこ高いんだよ。

…あれ、結局値段に行き着いてしまった。

 

そんなに罪悪感があるなら切るのをやめればいいのに、という話ではある。

でも世の中のとち狂った変態の方が怖くて無理なのだ。変態というか、犯罪者だ。法を犯さず、他人に危害を加えない変態に失礼だから犯罪者と書こう。

 

 

家で出来る下着の再利用方法はないものか。わりと本気でそう思うのだが、思いつかない。回収してくれる下着メーカーもあるみたいだが、どうにも憚られる。だって使用済みだから…。

なんで犯罪者のためにこちらが策を練らなくてはならんのだ!腹立つな。

 

 

とかなんとか書いているが、基本的に私は下着というものが好きである。

20代の頃には派手なデザインも好んだし、高級なものや海外製の下着は見るだけで楽しかった。年齢とともに着け心地が楽というのが大前提になってきたが、気分が上がる色や柄、素材を選ぶことは今でもある。

 

あくまでも他人に見せるためではなく、自分のテンションを上げるために買うのだ。これは「嫌なことにも動じない精神を保つために」とも言い換えられる。

 

「フッ…貴方は私のことが気に入らないのかもしれないけど、今日の私は最高にカッコイイ下着なんでそんなことはどうでもいいんだわ。貴方は知る由もないですけどね!教えてもやらないし!残念だったな!」

みたいに鼻で笑うことが出来るわけだ。(一応書いておくが、これはどの性別相手でもそう思っている)

 

変な理論といえばそうかもしれないが。

自分しか知らない、自分のためだけの装備。しんどい世の中で生きていくには、そういうものが必要なこともあるのだ。

 

 

 

 

本当はそんなに気張らずとも生きていける世の中になって欲しい。何人も楽しく幸せで安心できる世の中であれと思っている。

少なくとも下着の処分方法を悩むようなことは無くなって欲しい。そんなことを考える暇があったら、やれる事がたくさんあるのだ。

 

 

 

 

 

 

おまけ。

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『羊羹ぱん』って字面が可愛い。響きもユルカワ。