彼岸此岸の間にて
今日は記憶を辿るだけの記事である。
長いので本当に暇で、なおかつ私に興味がある人だけに読むことをオススメする。
人間、ある程度生きていれば「二度と体験したくない」という経験のひとつやふたつあると思う。
前に投稿した記事に、三途の川を渡りかけたことがあると書いた。下記の記事だ。
簡単に言うと死にかけたわけだが、そこに至るまでの過程は長いからちょっと割愛して、いきなり倒れるとこから始めることにする。
何年か前のまだ寒かった時期に、私は自宅で倒れた。薄れゆく意識の中で家族に電話をし、その家族が救急車を呼んでくれた。
救急隊員がバタバタと入ってきたのは、うっすらとだが記憶にある。家族の声もしたようなしないような、とにかく何人かの声がしていた。そして、身体がどこかに運ばれていく感覚があった。
次の瞬間、私は救急車に運ばれていく自分を上から見ていた。建物の2階の高さくらいの感覚だったが、見下ろしながら「私、救急車乗るんだな」と思った。
そこからパッタリと記憶はない。真っ暗だ。
ずっと闇だったと思う。当たり前だが、意識がないので特に痛いわけでもなんでもない。そこから私は数日間、昏睡状態でICUに入っていた。それなりに危ない状況だったらしい。
ある瞬間、目の前に光が見えた。トンネルのような闇の中、遠くに光がある。そしてその光が近づいてきた。自分が近寄ったというよりも、こっちに光が高速でぶつかってきた感じ。
少し身体がフワフワする感じで、妙に気持ちが良かったと記憶している。
私が瞼をあけると、目の前が真っ白だった。声を出そうと思ったが全くしゃべれない。呼吸は出来ている気はしたが、目が霞んでいて何も認識できない。
「あー、私死んだのか」と思った。あの状況だったらそりゃ死ぬよね、などと思っていたら目の前に人が見えた。
名前か何か話しかけられたと思う。身体のどこかを触られた気もする。その人は看護師さんだった。
よくよく体の感覚を研ぎ澄ませてみると、病院独特の機械音が聞こえた。ピッピッピッとか、プシューみたいな。
声が出ないのは呼吸器の管が喉に挿管されていたからだった。目が見えないのはそもそも視力が悪いせいである。(死にかけたっていうのにアホさは健在)
そして私は「これ、もしかして生きてるのか」と思った。と同時に身体の自由が利かないことに絶望した。全く動けない。
そこからしばらくは熱があって思考も働かず、まともな記憶はない。
寝て起きて寝て起きてを繰り返し、家族が面会に来てくれたことは覚えている。あと喉がめちゃくちゃ渇いても呼吸器があるから水は飲めず、唇だけ濡らしてもらったこと、くらいは記憶にある。
実はその時の写真があるのだが、顔はパンパンに浮腫んで大きな呼吸器が装着されていて、目を閉じてるのにメガネをかけられているし、髪の毛は赤ちゃんみたいに上の方にキュッとひっつめられ、おでこには冷えピタみたいなものが貼られている。
なんでそんな写真撮ったんだうちの人は。...貴重だからか?
当たり前だがICUでは自分の姿が見れなかったので、この写真を見ると「なかなかに酷いですね、っていうか誰よ」という他人事みたいな感想が湧く。
あまりにあまりな見た目なので、笑ってしまうのだ。笑うところではないんだが、正直かなり面白い。(たぶん、私は心根が不謹慎なのである)
あとはいくつか、夢のような幻覚のようなものは覚えている。
きちんと覚えている夢のひとつは、バリ島への旅行だ。
なんだその呑気な夢は!と突っ込まれそうだが、本当に見た夢なので仕方ない。倒れる少し前にバリ島に行っていたから、その影響もあったんだろう。
夢のバリ島旅行には友人たちと数名で行っていた。とても暖かくて、みんなで海に入っている。私はほとんど泳げないくせに、夢の中では足のつかない沖でキャッキャしながら漂って、時々大きめの波に飲み込まれそうになりながらも楽しんでいた。
でも何故か天気が悪いというか、空が真っ黒だった。海の色も黒かった気がする。それでも友人たちとずっと笑っていた。ただずっと漂って笑う夢だった。
もうひとつ覚えているのは真逆で、全く楽しくない夢だった。
私は野戦病院のようなところで誰かを必死に探していた。あちこち走り回って、とある小部屋のようなところに行き着いた。
そこは天井から灯りから何から真っ赤で、蒸し蒸しとして暑かった。2段ベッドがいくつも置いてあり、大勢が折り重なるように寝ていて、うめき声なのかなんなのか分からない奇声があちこちから聞こえる。おそらく全員男性だった。
私は探していた人物を見つけたようなのだが、その瞬間に何人もの人間が覆いかぶさってきて、息が止まりそうになるところで目が覚めた。
誰を探していたのかは、全く分からない。とにかく「探さなきゃ」という感覚だけあった。
夢の方はさておき、意識が戻る前の「トンネルの先に光が見えた」というのは恐らく臨死体験である。よく聞くタイプのやつだ。
ネットなんかに書かれていたことは本当だったのだなぁとちょっと感動した。正直、臨死体験とか「ふーん、そうなのかねぇ」くらいに思っていた。
でも特に神秘体験!とは思っていない。「死にそうな時って脳はそういう動きになるんだな」と。普段は出ないような刺激物質が出ている感じだと思う。
こういう体験を話すと「価値観とか一変した?」と目を輝かせて訊かれることがあるのだが、残念ながらそうでもない。
一変する人もいるのかもしれないが、私はあまり変わっていない。
私が死にかけて、私が生き返っただけ。
もちろん「生きててよかったな」とか「こんなことになっても生きていたんだから、今後の人生を大切にするべきかもしれない」というくらいの考え方の変化はあった。
でもむしろ私は、何かが変わったのではなくて「ブレなくなった」感じが大きい。
昔、カウンセリングに行った時に「今はちょっと疲れて大変なんですね。少しずつ、前の自分に戻っていきましょう」とカウンセラーに言われた。
その時の私は「前の自分とは?物心がついた時からずっとこの感覚で生きてきてるのに、どこに戻れと?」と思った。
むしろ、この感じで生きてきた自分を否定されたような感じがして落ち込んだ。「戻るべき自分」という目標が見えなかった。
大袈裟かもしれないが「私は他人に直せと言われるような人生をずっと送ってきたのか」と落胆したのだ。
でも今は、自分というものが見えるようになった。昔に戻るというよりは、発掘している感じだ。
生まれ変わったわけでもなく、かと言ってずっと生きてきた自分が嘘だったというわけでもなく。あっちにこっちにブレブレだった自分という物体が、発掘された情報によって形成されていく感じ。
根本的には何も変わらないが、自分という人間の輪郭が太くハッキリとした。
更に言うと、死ぬということの捉え方が若干ではあるが変わった。
「遠かろうが近かろうが必ず死を迎えるのが人間なら、それまでに何ができるのかを考え、頭の片隅に死を置きながらも日々前向きに生きていく」ことを考えるようになった。
死は忌み嫌うものでもなく、ましてや救いでもなく、ただそこにある時間の終わりだと痛感したためだ。
光が見えた以外、とにかく真っ暗闇だったから。
私は明日死ぬかもしれないし、5年後かもしれないし、もっと生きて30年後かもしれない。もしも長生きして90歳まで生きたら、あと50年もある。
どのタイミングにしろ、一度死んだようなものなので受け入れやすい気がする。
そりゃあ死ぬ直前は怖くなったり後悔はあるかもしれないが、今の私は人生に2度目があってラッキーだな、とさえ思っているのだ。
だから次に死ぬ時までに、やれるだけのことはやってみようと思う。誰かと比べて特別に立派なことが出来なくてもいい。当社比で考えている。
「二度と体験したくない出来事」は死にかけたことではなく、「意識が戻って、家族の気持ちを想像した時の申し訳なさ」を再び体験したくないということである。
親しい人が死ぬのを見送るのは辛いことだ。それが突然であれば、なおさら受け入れ難いだろう。
正直、ICUを出て意識がクリアになってからの方が辛かった。
シモの世話をしてもらうのは情けないし、情緒も不安定になった。呼吸器が取れてもしばらくは鼻に管で、なかなか酸素の値が上がらず、ボンベがないと生活できなくなるのかな…と弱気になったり。
リハビリなんてベッドを降りるところからだ。筋肉がなくなるというのは怖い。自力で歩くことや階段の上り下りができるようになるまで、かなり時間を要した。
特に結論はないのだが、「死」そのものよりも「病」の時間が長く続くことを避けたいので、健康には気を使って生きようと思うお年頃になりました。
おまけ。
この前なんとなしに観てきたんだけど、イ・ビョンホンがいい感じのおじさんになってた。イケイケドンドンなイケメンは胸焼けしちゃうんで、このくらいがちょうど良いねー。って彼は52歳なのか。その歳にしては色気ありすぎるな(笑)
内容としてはツッコミどころが多々あるのと、いわゆる韓国映画的な泣かせ演出が気にはなったけど、王道パニック映画として楽しめました。ほんと韓国はお金かけて大作を作れて良いなぁと思いますね...。