記憶と感情のスタート地点
「人生で初めての記憶」ってみんなパッと思い出せるんですかね。
人に訊く機会がなかったから気になります。
私は明確に覚えていて、その記憶は恐怖の感情と結びついていました。
逆に言えば怖かったからはっきりと覚えているだけ、なのかもしれない。
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私はハイハイで坂のようなところを登っている。
目の前には両親が居るが、なぜか私を置いて歩いて行ってしまう。
母親は私を気にしながら歩いていて、父親の方はスタスタ歩いている。
私は「早く行かないとヤバイ!」と必死にハイハイをするが全然追いつかない。
気持ち的には泣きそうだったが、それよりも「置いて行かないで!」という気持ちが上回ってハイハイし続けた。
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こんな記憶がずっとあったのですが、本当の記憶かは確信が持てずにいました。
でも大人になって、母親がまとめた旅行写真のアルバムを見たら「あ、この時じゃん」っていう写真を発見したんですよね。
軽井沢かどこかの避暑地っぽい、涼しげな林の道でカメラに向かってハイハイしている私。
思ったよりにこやかな顔をしている写真でしたが。
両親は私の写真を撮ろうとしただけで置いていこうとした訳ではないんですが、怖いという感情がこんな他愛もない一瞬を記憶させたんだなぁ、と。
あと「ハイハイしてる時のことなんて覚えている訳ないじゃん」と自分でも思うのだけど、虚偽記憶だったとしても別に誰かに迷惑かからないから良し。
ただし「母親は気にしているのに父親はスタスタ行ってしまう」というのは、その後の人生から得た情報によるフィルターがかかった記憶かもしれない…。
そうだとしたら、我ながら酷いな。
ちなみにその次に覚えているのは「母親が猿にポケットティッシュを奪われた」こと。
3歳くらいのことだと思います。
これも家族旅行で、自然公園みたいな高いフェンスがない猿山に行った時、母親がポケットからティッシュを出した瞬間に猿が奪っていきました。
なんで奪ったんだろ、餌だと思ったんですかね。
私は母親の横に居たので、これまた恐怖に慄いたという話です。
猿って知能高いですよねぇ、本当に。
今、「楽しくて仕方がなかった」ことを思い出そうとしていますが…幼稚園は楽しい記憶が多かったかも。
クラスのボスみたいな男の子に絡まれたら助てくれた、初恋の男の子のこと。
年長さんの頃に、南野陽子の「秋からも、そばにいて」を歌いまくっていたこと。
幼稚園で飼われていたお蚕さんが大好きで手に乗せていたら、母親にドン引きされたこと。
母親が病気をした時に、年の離れている兄がお弁当を作ってくれて、それ自体はありがたかったけど中身が「白飯とみかんの缶詰のみ」だったこと。
(ご飯がみかんの汁気でベチャッとして、なかなかに甘いご飯でした。味を覚えているってことは私、ちゃんと食べたんですかね。)
楽しいことを思い出そうとしたのに、変なところに落ち着いてしまった。
そして、正直めちゃくちゃどうでもいいことしか覚えてないです。
他に覚えておくべきことがあったんじゃないかなぁ。
喜怒哀楽というか、細分化された感情っていつから出てくるのかな、って思うのですが。
ひとまず私の感情のスタートは避暑地の坂だったのかな、ということ。
そしてそれは「怖い」だったこと。
初めての記憶なんて本当か怪しいけど、少なくとも私の脳はそう記憶しているからそれでいいじゃん、ということ。
こういう記憶と感情が今の私を形成する大事な要素になったんだろうな、という話でした。
おまけ。
ここ数日、左目の下がピクピク痙攣しています。この現象の名前を知ろうとググったら「眼瞼ミオキミア」ということが分かりました。ガンケンミオキミア。GANKEN MIOKIMIA。
この痙攣ってすごく不快なんですよね。眼精疲労、ストレス、カフェインなどが原因だそうですが…そんなの回避できませんって。今も珈琲を片手にパソコンに向かっているというのに。
ということで、最近よく飲んでいる珈琲をご紹介します。撤退とかしたら嫌だから広めたい。私は深煎りを豆のまま買う派です。