何故こんなにも食い意地が張るようになったか。
きちんとした風邪をひいてしまった。
これを書いている今も喉が痛い。新型コロナではなかったのだが、じゃあなんなんだという感じではある。
喉のイガイガから始まり熱が出始め、倦怠感がひどかった。高熱にはならなかったが、だるすぎて3日ほど寝続けた。平熱になったところで、調子こいて入浴したら熱がぶり返した。
なんで調子に乗るんだろうね?ちょっと考えれば分かる気がするんだが。この辺が私が私たるゆえんというか…判断ミスばかりの人生。
熱がぶり返した頃には喉が結構な痛みで食欲はなく、たまに咳と痰が出た。
一昨日は鼻水で睡眠時間を削られ、昨日ははしつこく残っている喉の痛みにげんなりしながら龍角散のど飴を摂取目安量の6粒舐めた。
そして喉が痛いと柔らかいものしか食べられないので、お粥のお世話になった。お粥って病気の時だけは美味しいよな。
ちなみに中国粥とかは好きなので普段から食べる。
そういう豪華なお粥じゃなくて、出汁をちょっと入れただけの白粥が美味しく感じるのは病気の証拠って感じがする。
今日はもうお粥ではなく、普通のご飯を美味しく食べられた。病人からただの人に戻りつつある。
夕飯をきちんと食べて「美味しいって思えるのは幸せだなぁ」と思い、何年か前まで不健康だった自分のことを考えた。
ここからメンタルヘルスの話になるので、苦手な方は回れ右。(激しい描写はないと思うけども、人によるので)
私は長らく摂食障害だった。
拒食だったり過食嘔吐だったり、いろんな時期があったが「心から美味しくご飯を食べられる」ようになったのはここ何年かのことだ。
正直、そんな日は二度と来ないと思っていた。高校卒業した頃から病院に通うようになり、過食嘔吐は10年以上続いた。
治し方なんか分からなかったし、医者も頼りになるとは思えなかった。「ゆっくりでいいですよ」と言われて薬を出されるばかりだったから。
ゆっくりしているうちに、人生が終わるんだろうなと思っていた。
「痩せていたい」と強くこだわっていたことも病気の原因のひとつではあったが、もっと色んな要素が複雑に絡み合っていたと思う。
それが自分で分かっていたからこそ、治しようがないと半ば諦めていた。諦めていたくせにめちゃくちゃ苦しくて、自分の人生を呪った。
辛くても他人のことは呪うまいと誓ったが、結局それは自分のことを追い詰めていくだけだった気がする。
何が嬉しくて便器とお友達になり、喉を痛めながら顔をパツンパツンに腫らし、自己嫌悪で発狂しそうになりながら生きていかねばならないんだ。
「なんでこんなことに。私はどこで間違ったんだろう」と創作物で使い古されたような言葉を頭に浮かべながら、鏡に映った汚い顔を見る。そして直視できずに睡眠薬を飲んで強制終了する毎日。
もしかして私は前世で罪人だったのかね?と意味がわからないことを思うくらいには地獄だった。
(書いてて思ったけど、こうやって人は宗教とかスピリチュアルに傾倒するのか?辛いと思いもよらない思考回路になる)
だが紆余曲折を経て、私は食べたいものを食べたいだけ食べてしっかり消化吸収する、食い意地が張った中年へと成長した。
そう、成長なんですよ。
(どうでもいいけど「紆余曲折を経て」ってワード、便利すぎだな)
「紆余曲折」の部分は本当にうねうね曲がりくねっているので端的に書くのが難しい。
ただ「自分は生きていてもいいんだ」と本当の意味で気がついた時に、過食嘔吐をやめようと決めた。
もちろん決めたからって簡単にはやめられなかったが、根がアホほど頑固な私は死に物狂いでやめることを目指した。
私はずっと、生きるのに資格が必要だと本気で勘違いしていたのだ。
この前の記事で「人生無免許運転」と書いたが、今は「無免許運転上等や!」という気分である。
こういう話を書くと重たく捉えられたりするのだが、私は事実を書いているだけだ。重くも軽くも大きくも小さくもない、過去の出来事。
ただ、過去だと思えるようになって良かったと心の底から思う。
特にこの話に結論はないのだが。私がモリモリ食べてSNSに写真アップしたりするのは、地獄を経て今が楽しくて仕方ないからなのだ。
そういえば先日の記事で正月は太るとか書いたばかりだが、風邪で痩せたんではなかろうか?と思い、先ほど体重計乗った。
…たいして変わっていなかった。さすが中年の代謝だよ。
来週は新年初の、いつもの美味しいお蕎麦屋さんで、いつもの友人とランチだ。
万難排して蕎麦屋に行くぞ。つまり風邪を治します。もう調子に乗らない。
おまけ。
風邪も吹き飛ぶマッツの喫煙写真。