それなり日記

映像作家、三宅美奈子の日記のようなものです。

ワープロに感熱紙、の時代をご存知か。

 

だいたい25年振りかぁ、と書き終わって気がついた。

なんのことかというと、小説である。15ページほどなのでたいした長さではないが、四半世紀振りに小説という形態のものを書き上げた。

 

私は小さい頃から文章を読むことが好きで妄想が捗る子供だったということもあり、7歳の時に初めて「お話」を作った。それはイラストを伴う絵本のようなものだったと記憶している。

 

さらにその後、詩を書くこともあった。ただこの手のものはどこかで「誰かに褒められるために書いた」節があった。大人になってから内容を読み返したら親や先生が褒めそうなものだったのだ。(実際褒められたこともあった)言ってみれば読書感想文が創作になっただけ。

 

純粋に書きたくて書き、かつ他人様に見せるのには勇気がいる「思いを吐露した」ような小説を書いたのは小学校高学年だったと思う。この頃は漫画も描いていたし、作詞作曲に挑戦したこともあった。なにかやりたくて仕方がないお年頃だったようだ。

どれも実家に痕跡があると思うが、恥ずかしいので発掘したくない。60歳くらいになったら直視できるかもしれないが。

 

その後、16歳くらいまでに数本の小説を書いた記憶がある。長いものはあまりなく、短編をぽろぽろと書いていた。

ワープロで!感熱紙を使ってだ!急に思い出して懐かしくなった。60歳で読み返そうにも、もう字が消えている可能性がある。

 

小説の内容としては、吉本ばななにハマってちょっと真似したり(『つぐみ』がとても好きだったな…)、家族の話や恋愛ものを書いたり、いろんなジャンルを書いていた。

 

ただ、10代半ばくらいからはかなり映画に傾倒していった。そして17歳で初めて脚本を書いたあと、小説を書くことは一切なくなった。するっと完全に切り替わったのだ。

頭の中にある映像を実際に作る、という欲求が文章を書くことを軽やかに超えてきた。

 

 

そんな私がなぜ思い出したように小説を書いたのか。

『阿波しらさぎ文学賞』という賞に興味があったのだ。

私は最終審査員のおふたりのファンである。小山田浩子さんに吉村萬壱さん。こんな賞は他にない!この何を書いても一旦は受け入れてくれそうな感じが好き!

 

別に他の賞が正当なものしか受け付けないとか、そういう意味ではない。良いと判断されればどんな奇想天外な小説だって受賞するだろう。小説は自由なんだ。

 

だがしかし。このふたりは私の中ではちょっと特殊というか別枠というか。かなり突き抜けていると思っている。

小山田浩子さんの作品に関しては、普遍的な部分がありつつも何か不穏だったり捩れていたり、ゾワッとするような描写があったり、そうかと思えばすごく共感することや驚くような文章の展開に目を丸くしたり。

エッセイでは温かみやおかしみを感じて顔の筋肉がゆるゆるになったり。もうなんというか、私にとっての宇宙。宇宙みたいなんだ。

 

吉村萬壱さんに関しては読む人を選ぶ作品も多く、エグかったり汚かったり痛かったりする。でもそのカオスの中で人間が、人生が、愛も悪も快楽もなんもかも丸出しになって暴れていて爽快なのだ。

シモ、シモ、シモ、から人生の滑稽さに爆笑したり、かと思えば時代を辛辣に見つめている内容に唸ったり、自分の話を正直に綴っているエッセイに関しては「ありがとうございます」の気持ちで、本棚に面出ししている。

小説やエッセイを書いてくれて本当にありがとうございます、届けてくれてありがとうございます。

 

小山田浩子さんが宇宙的なのであれば、吉村萬壱さんは私にとってのお月様みたいな感じである。

規模感を比較しているのではなく、距離というか心の中にある在り方しての、空気感の比喩である。読んでる方に伝わるかどうかは分からないが。

 

こんな最高のおふたりが審査員。出したい。読んでもらいたい。なんの欲求だかピンとこない人もいるかもしれないが、推しにファンですっていう長い手紙を書きたい、ぐらいの感じかなと。

 

でも小説家になるぞ!と思った訳でもなく、脚本とも違うので書き切れるかどうかも分からない。

四国といえば香川県には何度も行っているのだが、徳島県は立ち寄ったりする程度で、土地に詳しい訳でもない。

そもそもそんな奴が書いていいのかね?書いたところで、最終審査まで残るとでも?毎年400以上は応募がある賞で、読んでもらえるなどと考えるのは馬鹿なのでは?

 

逡巡したが、書くことにした。

別に何か減るもんじゃないし。考えようによっては時間が減るのだが、嫌なことに使うわけではない。むしろ楽しそうだ。始める理由なんてそれくらいが丁度いいかもしれない。

金原ひとみさんだって「何でもいいよ!小説書けたら送ってみて!」と、すばる文学賞のコメントで言っているんだ。(前にバズっていたな)

 

書くと決めたからには、必ず出すところまでやり切るという決意をした。そもそも自分で決めたことはやり遂げたい性分だし、曲がりなりにも脚本を書くことがある人間として「物語を仕上げられない」ということは沽券に関わる。

どんな駄文になろうと構わずに、やり切ることを目標に据えた。

 

そして何より、私は自分の欲求に忠実なのだ。書きたいんなら書けよ、読んでもらいたいと思ったなら送れよ、と思った。

達成できるかは別として、まず出さなきゃ可能性はゼロなのである。まぁ、いつもそうなのだ。映画だって作らないと見てもらえない。映画祭に出さないと、受賞はない。

 

かくして、原稿用紙15枚以内の小説との格闘が始まった。

 

 

 

 

なんかまた疲れてきた。

またしても前後編パターンとなります。ダラダラ書くからだよ、ほんとに…。

 

 

 

 

 

 

おまけ。

「沽券に関わる」って変換しようとしたら「股間に関わる」が一番最初に出てきて、iPhoneを投げそうになりました。

あとねー、この本を買いました。画家で詩人のアンリ・ミショーによるアレな幻覚剤の体験記…。「千のナイフ」の元ネタ。

オルダス・ハクスリー『知覚の扉』やマイケル・ポーラン『意識を揺さぶる植物』と読み比べたいところ。