それなり日記

映像作家、三宅美奈子の日記のようなものです。

41歳、楽しさを味わう。

 

レバニラと素麺が美味しい季節になってきた。

別に両方いっぺんに食べるという意味ではない。素麺はね、島の光ばかり食べています。小豆島の素麺は本当に美味しいよ。水とか潮風がいいのかね?あと油かな、やはり。

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レバニラに関しては、この酷暑で食べるもんじゃないだろ、っていう人も居そうだが。確かに受け付けない日もあるんだけど、やっぱりレバニラは夏の食べ物だよ。精がつくもの。口は臭くなるけど。

レバニラはずっとレバニラ、で呼んでたけど「ニラレバ」の表記もあるよね。なんなの、統一して欲しい。

 

なんでそんな話をしたかって、昨日は誕生日だったからレバニラを食べたのだ。

別に毎年そうしているわけではなく、今年はたまたまうちの人の帰りが遅かったので中華を食べに行ったという話だ。誕生日は美味しいものが食べたい。高級だろうがそうでなかろうが、好きなものが食べられれば万々歳である。

レバニラは家で作ろうとすると、大変面倒である。少なくとも私は下処理の段階で諦める。あとは大きな中華鍋がないと、あの味にはなり得ない。レバニラは中華料理屋で食べるのが一番だ。口は臭くなるけど!

 

 

あ、レバニラの話を延々としようと思ったわけではない。誕生日だよ、誕生日。

めでたく41歳になった。おめでとうの連絡をくれた人たち、本当にありがとうございます。41歳ともなると、正直覚えているのも面倒というか年齢に対するこだわりがなくなってくる。だが、お祝いの言葉自体は嬉しいに決まっている。こんな雑に生きている自分を気にかけてくれる人がいるってのはありがたいことだ。

 

このブログは去年の誕生日前に始めたので、1年は続いていることになる。といっても、記事は50しかない。週に1回以下の更新だ。まぁこれは仕方ないね。そもそもマメじゃないし気まぐれだし。でも1年間書き続けているっていうのは、私にしてはきちんと向き合っている方だ。

 

 

今まで生きてきて、長らく続いているものが少ない。映画を作ること、今の結婚生活、あとは趣味の文房具と香水だけだ。

趣味については頑張らなくても続けられるものが趣味だと考えているので、長続きして当たり前という感じではある。努力が必要な映画制作と結婚生活にしては、自分でもよく続けていられるな、と思う。私は基本的に努力ができない怠け者だからだ。

 

そんな怠け者の私が、前に記事に書いた通り文学賞に応募した。新しいことをするのは続けるのと同じくらい労力がいる。でも、書きたかったから書いてみた。

その結果、一次審査を通過することができた。

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二次審査は通過できなかったので、目標だった吉村萬壱さんと小山田浩子さんに読んでいただくところまではいけなかった。だが、初めて応募した文学賞で一次審査を通るということは、存外に嬉しかった。

 

今までだって、脚本を書いて審査を通過したことがある。映画を撮って映画祭で上映されたこともある。

だがそれ以上にあちこちで落とされ「選んでもらえないこと」のしんどさを味わってきた。選ぶ側の好みがあるとは思っていても、「面白くない」「才能がない」「そもそも向いていない」みたいな意見を突きつけられている気がして、なんでこんなことやってるんだろう?と思うこともあった。

 

ずっと「誰かに選ばれないといけないんだろうか」と自問自答していた。私は映画を作ること自体、その行為そのものが好きだ。でも、作る以上は届けないと意味がない。面白い面白くない、などの感想は受け手がいないと成立しない。

でもそこで誰かに選ばれるために作るのは、しんどい部分があるのだ。頑張ればできなくはないのだと思う。選ばれた映画を見て分析して撮ることは不可能ではない。誰かに好まれそうなものを作るのは(もちろん簡単ではないが)需要に応えるということだ。

だだ、そこを重視しすぎると辛くなってくる。需要に対して自分のやりたいことがマッチすればいいが、乖離している場合には埋める作業が苦痛に変わることがある。何をやっても楽しめる天才だったら苦痛ではないんだろうが、私は何をやるにも遠回りし、さらに間違ってしまうことが多いという、生きていく能力が低い凡人以下である。そもそも何かを楽しめる能力が欠如しまくっている。

 

その点、今回書いた小説は最終審査員に読んでもらいたいという目標があったものの、需要に関しては考えていなかった。選ばれなければ!みたいな気負いもなかった。ただ書いてみたかったから書いたのだ。

もちろん、書くという作業は楽しいだけではなく大変ではあった。でもそれは「今まで小説を書いてきたわけじゃない」という気持ちによって「書けなくて当たり前だよな」と考えることができたので、最終的に推敲も楽しくなった。これが脚本になると「今まで何をやってきたんだよ、お前は」という気持ちになって、めちゃくちゃにしんどいことがあるのだ。

 

だから比較的楽しんで書けた小説が一次審査を通過して、今までの私のやってきたことが少し報われた気がした。

ただ、楽しんで書いたが自由には書けていないと思う。もっと小説、言葉の意味から自由になったら二次選考に進めるんだろうか。

 

という訳で、目標は達成できていないので来年も阿波しらさぎ文学賞に挑戦したいと思う。一次を通してもらったので、調子をこいて次も書くと決めた。その辺の単細胞さは私のいいところだ。生きていくのはしんどいが、この調子の良さがあるから生きられている。

とにかく嬉しい誕生日プレゼントだった。このブログもまだしばらくは書いていこうという気にもなった。そう、私は文章を書くのが好きなんだったわ。忘れるな。

 

 

 

 

 

おまけ。

こういうのを置いてくれるから、近所のブックオフは...好き。

思ったより難しくなくて、今のところはスイスイ読めている。みすず書房ありがとう。