それなり日記

映像作家、三宅美奈子の日記のようなものです。

生まれ変わったら。

 

永井玲衣さんのエッセイを読んだ。

ohtabookstand.com

 

昔の自分も似たようなことを思っていた。

 

小学校の卒業文集で「もし生まれ変わったら」という質問に答えるページがあった。

私は「男に生まれ変わってスポーツをしたい」という内容を書いた。

スポーツがしたいというのは嘘だった。「男に生まれ変わりたい、だけだと周りに何か言われそうだな」という気の小さい理由で書き足しただけだ。スポーツしようが出来まいが、男になれれば良かった。その頃は本当に女である自分が嫌だった。

無神経な同級生や男の先生の言動に腹を立てたり、「女の子なんだから」という親の言葉にも反発していた。私は10歳くらいで既に「女でいることのメリットよりデメリットの方が大きい」と感じていた。

卒業式で同級生の女の子がワンピースやスカートで着飾る中、私はパンツスーツで出席した。「男勝りな子」みたいなことを言われたが、小学生の私には世の中に対するせめてもの抵抗がそのスーツを着ることだった。

 

しかし、たかだか小学生にそんな思いをさせる世の中ってなんなのだろうか。

別に全ての男性が悪いとか、そういう話ではない。性別がなんであろうが、心ない人間もいるし理解者もいる。また人間は本来そういう風にふたつに分けることすらできない、グラデーション様の存在だ。

でも私が遭遇した「性別にまつわる嫌な経験たち」は男性に起因するもので、その事実は自体は消えることがない。

 

 

女であることにしんどさを感じ続けながら生き続け、私はある時耐えられなくなった。男性を恋愛対象として好きだと思いながらも、男性のことをめちゃくちゃに嫌悪するようになっていた頃だ。

性別に関することだけが原因ではなかったが、それが大きな要因となってパキッと心が折れた。本当にパキッと音がしたんじゃないかと思うほど分かりやすく、一気にダメになった。

 

心が折れて以来、脳内が全力で世の中から逃避するようになった。日々をなんとかこなしながらも、私自身という存在はそこに居なかった。ずっとフワフワした気持ちで、ガラス越しにみんなを眺めながら、なんの痕跡も残さずに消えることができたらいいのに、と思っていた。

それなのに、苦痛からはどうしても逃げられなかった。ただ生きていくということが、馬鹿みたいに重かった。

 

死ねないし生きてもいけないな、と途方に暮れていたら一日が終わっていたこともある。

朝起きる度に、一日が始まることにため息をついていた。寝る前に、このまま目が覚めなければ楽だな、と思うことが続いた。かと思えば急に変な力がどこからか湧いてきて、周囲を困らせることもあった。

他人との間にあるガラスはどんどん分厚くなっていき、視界も思考もぼやけ、自分の体なのに自分の意志で動かせないことが増えていった。比喩ではなく満身創痍だった。

男だろうが女だろうが、とにかくもう何者にもなりたくなかった。

 

 

 

 

 

振り返ってみると、よくあの状況からここまで復活したなと今は思う。人間って、というか私って結構しぶといんだな、と。そして周囲の協力があったことに関して、私はとても恵まれていると思う。

現在は自分の生きてきた人生をなんとなく受け入れて生きる、ということが出来ている。天啓を得ていきなり事態が好転した、みたいなことは全くない。今でも根本的には何も変わっていない。

ただ「なんとなく」を目指したことが私には効いた。

 

今は生まれ変わったら男になろう、という強い気持ちはなくなった。この年齢になって女という舞台から降りて楽になった、とかいう話では全くない。正直その手の問題については、未だにいくらでもある。

だだ私は「そう思っているのが自分だけではない」ということに気付いた分、楽になっただけだ。

 

私が悩んでいた頃は、ここまでSNSが発達していなかった。だから映画や小説などの創作物の中にしか、自分と同じような考えの人間を見つけられなかった。身近なところにはいない、と感じていた。

家族がいても仲がいい友人がいても恋人がいても、現実の人間にほとんど共感ができなかったし、逆に私に共感してくる人とも付き合いは上手くいかなかった。自分が悪いんだと思い、周りに合わせようと行動してみても続かなかった。

 

5、6年くらい前にSNSで一般的に存在するであろう人々の発言を見て、本当にいろんな人が居るんだよな、と肚落ちした。だから「まずは自分のペースで、なんとなく生きていこう」と思った。「〇〇しなきゃ」というのを少しづつ諦めた。

創作物の登場人物ではない人々の中に「自分みたいな考えの人」をたくさん見つけることができたのは、私にとって画期的な救いだった。そしてSNSというのがちょうど良い距離感だった。

 

そもそも私は何故、そんなにも自分だけが違うと思い込んでいたのだろう。だいぶ思い上がりだな。

 

 

 

 

 

なんとなく生きていけるようになった今は、次の段階に進みたいなと思っている。

 

 

 

 

おまけ。


可愛いボールペンを買った。ピンクとか赤とかを忌避していた時期もあったけど、今はピンときたら何色でも買う。

いや、「買う」じゃないのよ、うちに筆記具何本あるの。体はひとつなのよ。

 

ちなみにこちらはオートのアメリカンテイスト、というらしい。

廃盤なのか、在庫限りでなくなるとあちこちに書いてある。こんなに可愛くて書きやすいのに!他の、色も、うぅ…。

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